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「それ誰のための笑顔?」撮影という儀式をやめた日

この記事はこんな人に向けて書きました。

  • 撮影がなんだか苦手
  • カメラを向けられると「正解の笑顔」を求められてる気がする
  • 「自分らしい写真が欲しい」と思っているけど、どうすればいいかわからない
  • 家族写真やプロフィール写真を撮るたびにモヤモヤしてしまう

そんな風に感じたことがある人へ。
「写真ってもっと自由でいいんだよ」という話をしたいと思って書きました。

撮影が「なんかしんどい」理由

カメラマンに「笑って〜」って言われて、なんとなく作る笑顔。ぎこちないポーズ。

でもそれって、結局カメラマンの「こう撮りたい」が透けて見えて、自分らしさが写ってないような気がする。

写真って本来「自分らしさを残すもの」のはずなのに、あの空気感では本当の自分なんて写るわけがない。

「こう笑えば綺麗に写る」
「こう座った方が映える」

そう言われるたびに、どこか自分を置き去りにしてる気がする。

結局のところ、多くのカメラマン撮影は、「正解の顔」を求められる撮影になっているんだと思う。

自由じゃなきゃ❝写る意味❞がない

自由じゃなきゃ「写る意味」がない

僕が考えるこの言葉は、「生き方」ともリンクしてる。

決められたルールの中で「正解」を演じるんじゃなくて、そのままの自分を表現したい。

写真=自己表現であるなら、、、

「他人の正解」に合わせた写真は、「自分じゃない“何か”のコピー」になってしまう。

それでは生きづらさしかない。

僕が写真を通して大切にしてるのは、決して“綺麗に見せること”ではなく、「ありのままの表情」や「その時、その瞬間の姿」。

だから、僕はあえて「撮影らしい撮影」はしません。

「ただそこにいてくれたらいい」

そう思ってシャッターを切っています。

撮られる人の「スタンス」がすべてを決める

僕自身は、自然体の姿を撮ることを専門にして活動しているけど、僕一人の力で自然体の写真が撮れるわけではありません。

重要なのは、撮影される人の現場でのスタンス。

「カメラマンの写真撮影」として来た人は、自然と撮影される人(サービスを受ける人)というスタンスになる。

その方たちの特徴は、

「ちゃんとしないと」

「ちゃんと笑わないと」

という思考になっている。

一方、「私の日常をただ撮ってほしい」と思ってきた人は、「○○しなければ…」という思考ではなく、「こうしたい!」が行動に現れる。

そうなると、ちゃんと自然体でいてくれる。

結局、自然体の写真って言っても、どんな写真が撮れるかは、「撮られる人の心の在り方」で決まってしまう。

あなたは、誰のために笑っていますか?

写真って、「自分らしさを映す」ものだと思ってます。
だから僕は、誰かの正解に合わせた写真じゃなくて、「その人のまま」を写したい。

もし今、「うまく笑えない」「撮られるのが苦手」と思ってるなら、それはきっと、あなたがちゃんと「自分らしさ」を守れてる証拠。

今日のご家族は、遊んでいるところをひたすらシャッターを押していきました。

ママさんも一緒にブランコしてくれるの結構好き。

大人は遠慮される人多いから、「もったいない‼」って思う。

言葉で伝えてくれなくても、その行動から、

「こういうの撮って欲しい」
「今この瞬間撮って‼」

っていう心の声を感じとる。

「そうそうこういう写真欲しいよね」
「だから今ここに座ってくれたんだよね」

そんな心の意思疎通が出来てる感じ。楽しい時間を過ごせてよかったです。 

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愛知県の公園で家族の自然な姿と表情の撮影